FLOOR見学する

No. 029

未来の家にはショールームがある。

山路湧(FLOOR / blankspace)

1年半、ビルで暮らしてきて、気づいたことがある。

夕方5時、6時、7時。ガチャガチャとうちのショールームのドアノブが鳴る。普通に会社に勤めている友達が、仕事終わりに遊びに来る。東京駅の周りで働いている人からすると、かなりアクセスがいい。

みんな会社が大変だと言いながら、ワクワクした目で来る。ものを作り、ご飯を食べ、また終電までものを作って帰っていく。ジンジャーエールを作るやつ、モーショングラフィックスで遊ぶやつ。メンバーの恋人や作家まで遊びに来る。最近、そんな人が次々に増えてきた。

大学から上京して、父親と1DKや2LDKに住んだり、祖母の家に住んだりしていた。そこで突然、人を招けない生活が始まった。賃貸だから、自由に制作するのもはばかられる。音を出すのも、昼間でもなかなか難しい。

人を招いたとしても、飛騨の家具、緑の照明、IKEAの棚。自分で選んだものではあるけれど、自分を表現するものとして少し足りていない感じがずっとあった。

私は5箇所のWeWorkで働いてきた。スターバックスで作業をし、大学に行き、帰る。どこでもMacを置いて、短時間集中する。それは得意だ。でも、リュックに参考書を詰めて、開いて勉強していた塾と変わらない。

みんな口を揃えて言う。ワンルームはつまらない。1LDKはつまらない。今の不動産開発はつまらない。住まいって、こんなもんでよかったんだろうか。

Instagramには、アトリエっぽい暮らし、ガレージっぽい暮らし、スタジオっぽい場所が流れてくる。広い空間、高い天井、そこに置かれたミッドセンチュリーな家具。どこかでは見たことがあるけれど、周りの誰も住んでいない憧れの空間。

ジョブズのガレージのような、宮崎駿のアトリエのような。好きなものに囲まれて、手が止まらなかったカオスの痕跡が残っている。そこに人を招いて語る。そんな空間で暮らしたい。

この場所は、私が思うままに探索してきた場所だ。東京に上京してから押し込まれた白い箱の代わりになる暮らし方を、本気で考えてきた。だから、試行錯誤のカオスが全部残ってしまっている。

ここに遊びに来る人は、そのカオスといきなり向き合うことになる。山路が何を考えているのか、どういう葛藤の中で生きているのか。具体的なことはわからなくても、ある種、裸のような状態を見ることになる。

最近、来る人の気持ちがやっと少しわかってきた。誰かのアトリエに行くと、その人とそんなに喋らなくても、何に夢中なのか、自分がどこに共感するのかが見える。何も察知できない白い壁の空間とは違う。

うちは、他のどこよりも私に共感しやすい場所なんだと思う。というか、共感までが早い。最初の10分くらい。3分くらいかな。その後は私の話にせよ、相手の話にせよ、一気に深いところまで入っていく。

何か自分の好きなことがあれば、それについてひたすらベラベラ喋ることになる。WeWorkでは隠れてしまうような、その人のオタク性がすぐに露呈する。遊びに来た人は、自分が本当はやりたかったことを思い出す。

アトリエ、スタジオ。いろんな言葉で表現しようとして、最近いちばんいいなと思っているのが、自分がやっていることの「ショールーム」だ。

今夢中になっていること、取り組んでいること。それは複数あってもいい。というか、複数あることが普通だ。それが空間として一瞬で伝わる。クラウドの中だけに入っているのではなく、その人の顔までそこにある。言葉で説明する前に、センスや感情としてその人を知ることができる。

人はガチで何かに向き合う人間に心を許す。そのガチさが見える空間としてのショールームである。

うちに来てものづくりをしている若者の中には、普通の企業に勤めている人も多い。8割仕事をして、2割制作する。それが7割仕事、3割制作になって、いつの間にか5割、5割くらいになる。そして、だんだんどっちも楽しくなってくる。

自分がやっていることの5割が空間に現れてきて、そこに人が遊びに来るようになる。チームのメンバーが来るようになる。そんな現象が起きている。

私はこのオフィスに朝から晩までいる。徹夜をする日もあるし、仮眠して次の日を迎えることも多い。そこで大事なのは、空間の主がいることだ。ガチな人間がそこにいることである。

「いつでも使っていいアトリエ」「いつでも使っていいスタジオ」と言われても、なかなか足が向かない。たとえ自分の場所にしようと思っていたとしても。

人は誰かがいる空間に行く。誰かに会いに行く。その人が夢中になっていることに触れに行く。「行ってもいないかもしれない」は、強いマイナスの動機になる。

そこに住んでいれば、その人がいる可能性が高い。その期待感から人が集まる。一部のガチな人間が住んでいて、その周りに通う人のブースができていく。そんな街の方が楽しいんじゃないだろうか。

私たちは空間に壁を立てて、ここをリビング、ここをキッチン、ここを水回りと仕切る。家は家、オフィスはオフィスと分ける。都会では、家に人が来ることなんてほとんどない。

一方、僕の家にはかなり多くの日に人が来る。一人になりたいときは、ポッドにこもる。早く寝る。それが快適にできるように、うちのプロダクトを設計している。

家族ができても、自分や家族で取り組んでいることが詰まった空間と、自由に暮らせる空間。その両方を持っていたい。家族という近代的なものさえも受け止められる暮らしに、絶対になる。

家をアトリエにするのではない。家をスタジオにするのでもない。都市の中のアクセスがいい場所に、みんなにショーできる場所と、ルームをくっつける。何かをショーする場所と、暮らすルームがあること。そういうショールームだ。

みんなのための共有空間でも、知らない人が毎日座っているコワーキングでも、突然大きな教室に押し込められるのでもない。「山路のところに遊びに行く」の積み重ねで、コミュニケーションができてしまう。そういう、とんでもなくクローズドな社会性を考えたい。

そのショーはカオスで、その人のもので、その人にしかどこに何があるかわからない。Instagramのフィードみたいなものだ。

塩漬けになっているオフィス、街の空き家、ビル、倉庫、工場。そこから、その人の人生が溢れ出している。遊びに行けば、オタッキーな友達がいる。

鉄オタとかアニオタとか、そういうオタクだけではなくて、誰もが持っているちょっとした趣味の話だ。その深掘りが見えてしまう。好きが溢れてしまっている。そんな場所を渡り歩く毎日でありたいし、それが積み重なる場所でありたい。

オフラインのInstagramが街に溢れる未来。本気で、タワマンや戸建て、リノベマンションの次に憧れる暮らしに。自分のInstagramをオンラインでしか持てなくなった時代に、みんなが抱えている潜在的な欲求なのではないだろうか。何かを作ってみる。使ってみる。人に見せ合う。家族に見せる。それがクリエイティブの原点だったはずだ。というか、少なくとも私はそうだ。

それを素直に受け止めて、人とのつながりや、未来へのつながりの起点にする。そういうライフスタイル。

そうやって、みんな生きていきたい。