FLOORのストーリー
これまで、チームはものづくりに徹してきたため、背景をお話しする機会がありませんでした。亀戸のビルに来ていただいた方にも、十分にお伝えできていないと感じています。 そこで、FLOOR Sponsorの募集にあたり、発起人の山路が背景を振り返りました。 FLOORが動き出したのは、誰も注目しなかった古びたビルに「新しい暮らしの気配」を感じ取った瞬間です。その直感の意味を伝えるには、私自身が目にしてきた風景を説明するのが最適と考えています。大きな物語の「はじめに」だと思って最後までお読みいただき、背景と哲学を感じ取っていただければ幸いです。
ヒントは三重の築100年の古民家に
私は、三重にある祖母の古民家で子供時代を過ごしました。毎日沢山の友達が出入りし、家の前に自転車が20台ズラッと並んでるなんてことがよくありました。ゲームなど大したおもちゃも無かったので、毎回誰かが遊びを発明して、面白いと輪が大きくなっていくのがお決まりのパターンです。子供が遊び回るので、古民家はボロボロになっていき、祖母が涙目で見ていたのを良く覚えています。今思えば、ボロボロの古民家と土だらけの庭という、やりたい放題な空間を求めてみんながふらっとやってきていたのだと思います。
一つのかっこいい建築では社会は変わらない
その古民家の設計が不満だったこともあり、もっと綺麗で広い家を妄想しては、絵を描いていました。14歳の春、その古民家を建て替えるタイミングで、人生で初めて建築士の方に出会います。父が理想の間取りを話す横で、みるみるうちにパースを描き上げていく姿に感動し、建築士を目指すようになりました。しかし、その後建築を学ぶために上京して、大学やアトリエで建築に触れる中で、その熱は完全に消え去っていきました。名だたる建築家のドローイングに胸を熱くする一方で、実際の都市開発はディベロッパー主導で経済の渦に飲み込まれるばかり。さらには実際に公共建築を訪れても、崇高な理論の反面、理想通りには使われていないものが目立ったのです。理想の設計を描けば描くほど、啓蒙的な作品に触れれば触れるほど、「このままでは誰も本当に豊かな空間を作れないのではないか。」という問いが強く自分の胸を締めつけました。
建築にはないプロダクトの力
なんとか光を見出そうとする中で、プロダクトとスタートアップに興味を持ち、大学を休学してメガベンチャーなど3社でエンジニアとして働きました。その後、友人と位置情報共有アプリのスタートアップを経営し、数百万人のユーザーを抱えたことで、建築にはないプロダクトの威力を痛感しました。
その時期に、FLOORを共に立ち上げた二瓶と出会い、小学校の先生向けに採点用のスタンプを立ち上げたところ、沢山のファンがついて飛ぶように売れていきました。ソフトとハード両方でプロダクトのスケールする力を目の当たりにした濃密な期間でした。
その後、建築に復帰したタイミングで、空間や都市に人を集めるソフトウェアとして、読書会アプリを立ち上げます。すると、東大や企業を拠点に読書会が広まっていき、次々に人が自然と集い、言葉が交わる熱気を肌で感じました。
ソフトウェアの限界
ところが、人を集める仕組みを作っても、時間が経つと近くに住んでいる人だけがふらっと集まる会ばかりになりました。社会人の参加者も多く、日中働いた後に電車に乗ってわざわざ参加しに来るのはどうしても面倒なのです。ソフトウェアの限界をここで思い知ることになりました。
空きビルが面白い
その頃ちょうど、AIが次々と私の「仕事」を奪い始めていました。たった数行のプロンプトを入力するだけで、自分を超えるクオリティのデザインやコーディング、プレゼン資料を一瞬で仕上げてしまう。その光景を目の当たりにして、受験からキャリアを通じて大切にしてきた「問題解決こそ価値」という信念が、遠くない未来には何の意味も持たなくなると痛感しました。人生で初めて、気づけばほぼ一カ月、ベッドから起き上がれない日々を過ごしていました。
ある日ふと、これまでの私の仕事が消えたら、東京の一等地にあるオフィスビルが丸ごと空室になり、そこに仲間と住めば新しい居場所が生まれるのではないか、と考えました。当時は心身ともに打ちひしがれていた私を、二瓶が「気分転換になるよ」と無理やり誘い、五反田TOCビルの見学に連れて行ってくれました。 五反田TOCは、まるで内部に小さな都市が広がっているかのような巨大建築。無人の長い廊下を歩きながら、無数の空っぽのオフィスを眺めていると、「ここで仲間と暮らし、遊び、いつか子どもたちと一緒に過ごせたら本当に面白いだろうな」と胸が高鳴るのを感じました。
それからワクワクが止まらない私は、神保町や神田、東日本橋など空きビルが目立つ街を歩き回り、不動産屋に話を聞いて回りました。「この場所に仲間と住んだら、どんなにワクワクするだろう?」と妄想がひたすら膨らんでいきました。
掃除する代わりに借りれた亀戸のビル
しかし、不動産屋を何軒も回るうちに気づいたのは、古い空きビルの多くがそもそも市場に出ていないという現実でした。オーナーは貸し出しも建て替えも面倒で放置したままにしているのです。表に出ない物件を動かすにはオーナーと直接つながるしかなく、途方に暮れていたある日、亀戸のとあるビルオーナーから「掃除を手伝ってほしい」と声がかかりました。 恐る恐る中に入ると、ダンボールとほこりに埋もれ、ネズミの死骸までも転がっています。水道も電気も老朽化し、薄いガラス越しに外の騒音が丸聞こえ、オーナーが貸したがらないのも頷ける状況でした。 それでも諦めきれず、私は二瓶と徹夜でプレゼン資料を練り上げ、大阪本社へ直談判に。さらに友人たちに協力してもらい、一週間かけて毎朝から晩まで清掃と解体に奔走しました。その結果、なんとオーナーから3年間、自由に使わせてもらえることになったのです。
見えてきた「余白」の価値
掃除を終えたビルは、何をしてもいい自由なフィールドになっていました。ある友人は仕事の合間に3Dプリンターやハンダを持ち込み、別の友人は壁に大胆に絵を描き、皆がこの余白に自分だけの小宇宙を広げていく光景に、涙が込み上げました。まさに、実家の古民家で当たり前だった自由が、東京のど真ん中でよみがえった瞬間です。廃校を住み家にしたようなワクワク感。皆がアイデアを試し、語り合い、本当に全員が目を輝かせて帰っていきます。この感覚こそが、ずっと探し求めていたものだと確信し、「ここには絶対に人が集まる」と強く思いました。 それまで私は、上京してからスタバやコワーキング、ワンルームといった作られすぎた格好良さに囲まれ、知らず知らずのうちに余白を失っていました。しかし、この都市の真ん中に残された余白が、私の世界を一変させました。
置くだけのプロダクトで、「余白」を解放する
余白に、とんでもない価値を感じることに気づいてしまったので、本格的に住めるようにする必要がありました。しかし、老朽化で水道も電気も通せないビルはポツンと一軒家同然です。でも解体も近くて大したリノベもできません。そこで、水回りや個室、全ての生活に必要な要素をプロダクトとして水循環システムを手がける会社の社長に協力をお願いし、水道管に繋がない水循環式シャワーを導入しました。これはビルを解体するときにまた違うビルに移すことができます。まだギリギリ住める程度の環境ですが、シャワー以外にも面白いプロダクトで暮らせるようにして、余白のある住まいに変えていく、これが私たちが実現したいことです。
作られすぎた都市を面白く
チームのメンバーは、均質に作り込まれた東京での暮らしが抱える矛盾をこれまでも日々肌で感じてきました。戦後の焼け野原から夢を胸に抱えて復興を遂げた東京は、いつしか住まいも家具もすべてが規格化され、私たちの日常は作られたかっこよさで埋め尽くされています。知らず知らずのうちに作られた不動産の中へと押し込められ、自分だけの小宇宙を育む余白を奪われてしまいました。その結果、知らず知らずのうちに他人と比べ合い、違いを受け入れにくい空気が世界中に広がっているように思います。 私たちは、この作られすぎた暮らしがもたらす疎外感と閉塞感を壊し、余白を取り戻すことこそが、私たちの暮らしの次なる大きな転換点だと考えています。これからの10年は、AIなどの急速な技術革新と同時に社会の分断も進む最後のチャンスともいえる時間枠です。その間に、面白いプロダクトで見たことのない自由な住まいを作り出すこと、そして、クリエイティブな人たち、将来的には子どもを自由に育てたい人たちにまで、余白を提供することが私たちの使命です。